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超個人的お酒に纏わるエトセトラその2

昨日は、お酒はやっぱり毒だよね、と言いながら終わってしまったんですが 毒と薬は裏表なことも紛れもない事実で 個人的に酒が百薬の長と言われているのにも一応賛成しています。 寧ろ、近代に於いては、薬の方がヤバイでしょ、と言う事も多いわけで

薬も、酒も、薬も タバコもコーヒーも 自分なりの物差しで、自分なりの「諦め」を含めて 自分で判断して飲んだらいいよ、と思っているわけです。

ただ、その、自分なりの物差しってものが 快楽を伴う嗜好品の摂取に於いては大変コントロールが難しい、と言う 近代史ってもしかしたら アディクトとの戦いに終始してるんじゃないかしら?

広げてみるとね 自分を抑えられないってことで言うと いじめや戦争だってアディクトからキてると思うしね。

話が逸れました。

東京ではアル中のリスクと背中合わせの生活でしたが そこからトルコと言う中途半端にイスラムの戒律が漂う国に移り住んで

妊娠と言うきっかけを掴んで、自分で断酒を決行することが出来ました。 これはアッラーがマジで救ってくれたとしか思えません。

十年以上アルコールを摂取しないで、それが当たり前な生活になってみると あの、昔に「酔った」感覚はやはり非日常で、しかも程度の差こそあれ 「狂って」たなぁ、と言う風に思えてきました。 「酔っぱらっちゃってるから許してね」と言うエクスキューズがないと 言いたいことも言えないチキンだったんですわ。 自分に蓋をして、そのままじゃ生き辛いからそれを酒で紛らかす。

ここに住んでる間も、どちらかと言うと 頑張っちゃってて こんな呑気な町に住んでても 結果を求める体質は振り切れてなくて 認められる嫁になって、認められる妻になって、認められる母になって 認められる社員になろう!

みたいな。全部他人軸。

遅かれ早かれまた「燃え尽き症候群」の罠に嵌ってしまう道筋でございました。

酒で紛らわすんじゃなくて 「頑張ってみせること」に対するアディクト。承認欲求アディクト。

でね

まあ、いろいろある程度結果みたいなものも生まれてきて ここで生きていく自信みたいな。

そんなさ中にトルコ観光業を襲った 観光不況。

誰が悪いわけじゃないけど お客様来ないし。

給料入ってこないし

考える時間は死ぬほどあるし。

来し方行く末を 見つめなおしちゃうわけですよ。

自分と真っ向から向かい合う時間。

ワタシは誰?

ワタシなにもの?

何がしたいの?何になりたいの? ワタシの軸はどこ?

観光不況は4年近く続きましたからね。

森羅万象に偶然はないって説で生きてます最近は。

この時間が自分に与えたものの大きさを改めて思います。

去年くらいから、情勢は段々落ち着いてきて 徐々に光が見えてきて それと同時に自分でもやりたいこと、目指したい生き方みたいなものが 眩しいほどに具体的に浮き上がってきて

それを自分の中で認めた瞬間に(自分軸誕生の瞬間!)

始まりました、再三書いている「とんとん拍子症候群」!

あれよあれよと、具体的な「夢」が現実世界に立ち上がってきて

本物の形を現しました。

でね

この、やりたいこと何でもやっちゃう会社の設立が決まって 本音の自分が(今まで見るのが億劫だった内面の自分が)ぜーんぶ 鏡を見るようにはっきり見えてきて、感じられる様になって

ああ、これは、祝福すべき状態だな、と思ったときに あ、ちょっと乾杯してみよう、と思いついたんですね。

えーーー、酒? ビールで乾杯? もうアルコールとの関係は絶ったんじゃなかったっけか? と、自分をブロックしそうになったんだけど

「断酒」って私の中の「意地」部分の象徴であったことも分かってたし いっそ、それも外してしまおう、と思って 去年の10月の満月の夜に たまたま友人が泊まっていった時に飲み残したビールがあったので しゅぽん!と開けてみました。

一口二口飲んで バルコニーから満月を見上げると

なんと!アッラーが祝福してくれてるじゃああありませんかっ (自己感性内比)

なんなら亡くなった父も出てきて祝福してくれてるじゃあありませんかっ。 (自己感性内比)

やっぱさ 上の人達は本音で生きろって言ってるよね。

14年ぶりのビールは小瓶一本も多すぎて。

なんと!翌日から三日酔いして、胃腸の大絶不調を味わいました。

やっぱ毒だと思うお酒はね。 しみじみ思った。アセドアルデヒド恐るべし。


それでも、 もう、意地とかとは無縁に生きていくと決めたので 飲みたくなったら飲もうな、と思いました。

が、飲みたくならないんですよね、これが!

嗚呼、びっくり。

例えばアノ!(アノって超内輪の人にしか分からない話しですが)大阪営業所時代にね 『飲みたくない』なんてね そりゃあよっぽど前の日飲んで死んでる時だけでしたよね。

お酒は、その背景も含めて飲みたくなるものだ、と言う感覚を初めて生きています。 しかも、飲んでも「酔いたくない」。

先日、訪れたゲルヴェリワイナリーのハジェルさんとお話ししてて ワインは、その背景を含めて『物語』を飲んでる気がします、と言って 超意気投合したのですが そんな風に ワイナリーの醸造者の方とそのお勧めのワインを素晴らしい絶景ロケーションで 心から感じたままの言葉を使って語り合いながら「飲む」。

そりゃあ、飲みたくなりますよね。酔いたくなりますよね。 量はいらないんです。 グラスせいぜい3杯くらいだったかな。 それでも、その場の空気に十分酔った。

最近、父とは頻繁にやり取り出来てる気がしてるんですが (自己感性内比)

適量でお酒を止められる飲み方が出来るようになって

「お前、すごいな。」と褒めて貰えてる気がします。 (自己感性内比)

改めて、お酒との新しい関係を築けるきっかけをくれた 14年間のノンアルコール期間に乾杯!

でもね、お酒飲むと絶対肌荒れるね。 毒だから。 毒だけど、肌も荒れるけど、それでもその「害」と引き換えに 今日は飲んじゃうよ、飲む価値あるよ、と自分で判断して決めて飲む! それでいいのだ。

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