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超個人的 お酒に纏わるエトセトラ  その1



お酒。 アルコール。

東京下町の生まれ育ちで 今はもちろんそんなこたあないでしょうけど 私が子供のころはお酒に甘い空気があって 中学1年生でも地元のお祭りで大人神輿に肩が入ったら「大人」。 酒も解禁、みたいな? 神輿渡御終わりで配られるお弁当の脇にはビール、みたいな?

うちの親父もお酒が好きな方で 晩酌は欠かせなかったし 夜中に仲間と飲んで酔っ払って帰ってきてトイレでゲーゲー吐いてる声とか聞いてた。 うちの親父が偉かったのは 家にたどり着くまでほとんど乱れなかったらしいことと 二日酔いの朝こそ早く起きて青かったり黄色かったりする顔色で店先を掃除してた。 曰く 「昨夜飲んだことは店の連中だって家族だって知っているので  そう言う時こそ余計に早く起きて働かなきゃみっともねぇ」と言って ちゃんとそれを実践してたこと。

私も酒を過ごす様になって 二日酔いの辛さが分かってくると そう云う意味での親父の偉大さ、有言実行の強さが身に染みて分かってきたりしました。

一度、酒を過ごしがちな自分の未熟さを嘆いて親父に聞いてみたことがあります。 「お父さん、お酒を飲み時にさ、どうしたら、     適量で『ここまで』って言って止められるかな?」と。 返って来た答えは 「それが分かってたらお前、苦労はねぇよ」と。

まあ、そんなこんなで お酒自体も好きだったし、お酒の席も好きだったし、お酒に関わる物語や蘊蓄も大好きだったし、もう、これはカルチャーとして、一生のお付き合いになるな、と思って育ってきました。

で、 社会人になって 一人暮らしも始まって 自由になるお金の多寡も多少大きくなってくる

それに相まって 社会人としてのストレスや、 自身の理想と現実の乖離とか 根拠のない先行きへの不安など 自分の人生が自分の手に負えない感覚があって

仕事も給料も満足いくものであったのにも関わらず それに自分が追い付いていない、と言う思い込みや劣等感

まあ、あれです 分かりやすく、酒に逃げて

結構、泥酔とかしちゃったりしてね。

「泥酔」って精神医学では「緩やかな自殺」カテゴリーで もうね、頻繁に泥酔する人は正しい医療機関に助けを求めた方がいいね。

その時は「私は大丈夫」って思ってたんですけどね 今振り返ると全然大丈夫じゃないDEATH。

分かりやすく「燃え尽き症候群」の一人だったでしょうね。

ま、そんな中 ひょんな流れで トルコ在住の男性と恋に落ちまして結婚して さくっと居を移しました。

夫はイスラムを信仰しててもビール星人だったので まあね、結婚しても一緒に飲んでました。 飲んでましたけど 日本では、まあ、周囲も酒飲みが多かったし 特に私は音楽業界で働いていたので 酒席での打ち合わせも結構あったし 生活とお酒が密着していたんですが

トルコ、基本はイスラムの国です。 戒律をどこまで守るかは個人の選択の自由ですが それでも、まあ、酒を飲む行為が褒められたものじゃない空気はあります。

義両親も一日5回のお祈りを欠かさない方々ですから その方々と同じ屋根の下にアルコールがあるって言うのは如何なものか、と言うね。

酒の席じゃないと本音で話し出来ないとかね それは本当に嘘だったね。 酒が入ってないと自分にエクスキューズが出来ない、自分の方の問題であって 酒に頼らないと、と思っちゃってる人は それもそれで、一度、自分を掘り下げてみた方がいいよね、って 余計なお世話ですわね。

ま、とにかく あ、結構飲まなくても大丈夫じゃん、と言う気持ちになりまして

息子を妊娠した際に 完全に断酒致しました。

そしたらね 肌の調子は良くなるし 体調ももちろん良くなるし 頑固なヂ餅な方もね、一度酒止めてみるといいよね。 ホント良くなるから。

で、授乳期間も終わって 断酒の理由が無くなって 酒を復活しても良い状況が戻ってきてもね ああ、このまま、アッラーに操を捧げちゃってもいいかも、って思えてきてね

私は半生随分飲んできたから、 きっと「背負い酒」も飲み切ったんじゃないかしらって思えてきてね。

酔っ払ってる旦那に、自分の過去はすっかり棚に上げて いやあねぇ、酔っぱらいはっ、って腐してみると言う。

全体で14年間一滴も飲みませんでした。

自分で自分を褒めてあげたい。 14年間酒絶ってきて、今が一番誇らしいです。 もうオリンピックばりですね、これはっ。


で、 そのあと、またおちゃけを再開するくだりは また、明日にでも書きますね。 ああ、長くなった長くなった。

酒はね、やっぱちゃんと毒だと思いますよ。 アセドアルデヒド。 カフェインやニコチンやアセドアルデヒドはね 其れでも尚、と言う嗜好品なんだと思いますね。

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